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由緒

History

治承年間に勧請されたと伝わる洲干弁天。
横浜村の鎮守として、砂州の突端から、いまの羽衣町へ。

二代歌川広重「横濱海岸圖會」。入海に船が浮かび、右図には松林と「辨天」の札が描かれている
二代歌川広重「横濱海岸圖會」1860/パブリックドメイン

— 01洲干島の弁天さま

かつての社地は、入海の出口に横へ伸びた砂州・宗閑嶋(洲干島)の突端にありました。松林に囲まれ、砂州の上が参道だったと伝わります。

「横に伸びる浜」であったことが「横濱」の地名の由来ともいわれます。いまの弁天通りが旧参道にあたり、本殿跡は中区太田町六丁目付近と案内されています。

— 02御祭神

市杵島姫尊(いちきしまひめのみこと)、多紀理姫尊(たきりひめのみこと)、多岐都姫尊(たぎつひめのみこと)の宗像三女神をお祀りしています。

もとは弁財天をお祀りし、水の神・海上安全の神として、また「横浜弁天」として親しまれてきました。

開港期の横浜・弁天通りの町並みを描いた版画
エメ・アンベール「A Street in Benten-Tori」1874/パブリックドメイン

— 03羽衣町へ

横浜開港ののち、居留地の造成に伴って社地を移り、明治二年(1869)に現在の羽衣町へ遷座して厳島神社と改称しました。

旧参道の弁天通りは、開港後の横浜の主要な通りのひとつとしてにぎわいました。

年表

  1. 1177–1181治承年間

    源頼朝が伊豆国土肥から弁財天を勧請したと伝わる。洲干弁天と称し、横浜村の鎮守となる。

  2. 室町〜江戸時代

    足利氏満による般若心経の奉納、太田道灌による社殿の再建、徳川家光による朱印地の付与が伝えられる。

  3. 1859安政六年

    横浜開港。

  4. 1860万延元年

    元町へ移る。

  5. 1869明治二年

    現在の羽衣町へ遷座し、厳島神社と改称。

  6. 現在

    「横浜弁天」の名で親しまれ、境内社の銭洗弁天社には巳の日に多くの参拝者が訪れる。

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